直 心 是 道 場

【 直 心 是 道 場(直じき心しん是これ 道場どうじょう道場 ) 】
( 『 維摩経ゆいまきょう 』 )
●直じき心しん是これ 道場どうじょう
どんな環境や条件でも心のもち方で向上の場になります。
凡人は今いる環境に不平不満を漏らし「もっといい場所はないか」と求めがちです。
修行の場は己の心の内にあるのです。
『維摩経』によると、光厳童子が修行するために、静かな場所を求めようと思って、
騒がしい毘耶離びやり大城を出ようとしたところ、
毘耶離国の長者で仏道を極めた維摩ゆいま居士こ じに出会いました。
そこで童子が「どこから来られたのですか」と尋ねますと、
維摩は「道場から来たのだよ」と答えました。
童子は納得できないので、改めて尋ねますと維摩は
「直心是これ道場なり。虚仮こ け無きが故に。」と、一言のもとに説破されました。
ここから有名な「直心是道場」の言葉が出てきたのです。
「直心」とは、直なおき心、真まっ直すぐな正しい心、
純粋無垢な心、散乱することのない心をいいます。
「道場」とは、釈尊が悟りを開かれた菩提樹下の金剛座こんごうざ(坐禅の座処)を指しますが、
仏徒が修行する神聖な場所をいうようになりました。
ここでいう「道場」とは、空間的な場所、
すなわち建造物などを指すのではなくて、人の心にあるのです。
次に「虚仮こ け」とは、真実ではなくて、うそ偽りということです。
つまり「直心是れ道場」は、分別や執着を超越した真っ直ぐな心をもっていれば、
至るところが修行の場であるという意味です。
静かな場所でなければ修行ができないと思い込んでいた光厳童子は、
居士の一言で目が覚めたというわけです。
誰でも似たような思いがあるでしょう。
騒々しいから本が読めない、話し声がうるさくて
考えごとができない、こんなに待遇の悪い会社で仕事はできない-。
しかしポイントは、場所や環境ではなく、肝心なのは心のあり方です。
愚痴が出るのは直心がないからで、直心がなければどこに行っても安住はできません。
さらに言えば、道場とは単なる場所ではありません。
分別の純粋な心、囚われのない澄み切った心そのものが道場で、道場は己の心の内にあるのです。
直心をもっていなければ、静かな場所でも、騒がしい場所となんら変りがないのです。
直心がなければ、どんなところでも道場とはいえないのです。
【 禅 と 経 営 】
■ 会社経営でも、純粋な心、直心が大切です。
■ 会社の歴史、規模に関係なく、企業コンセプトを最も大事にすること。
■ 経営で重要なことは、何で(第一商品・第二商品)社会にお役に立つかです。
■ 利益とは、お役に立った分のお客様からのご褒美です。
■ 社会から集めた経営資源を、自社の技術、サービスを付加し、社会に還元するのが経営です。
■ 経営で迷った時は、直心で中央突破する。

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