打って反省・打たれて感謝

剣道には「打って反省、打たれて感謝」という言葉を念頭に稽古に励みなさいとあります。


剣道は読んでそのまま剣の道。
斬られたら死ぬ訳です。他の武道には類を見ない正に一撃必殺です。
その剣道が打って反省、打たれて感謝って言って道を極めていこうとする。
常に相手に何かを学ぶ姿勢が大事なのです。相手に面して自分を鍛える。
そして剣道の究極は無心の一撃です。
瞬間で繰り出す技。
作戦練って、相手の動きを計算して、こうこうこうやればこうこうこうなるって考えて試合に臨むと、究極的には破れてしまうそうです。
「計算してる」ということが、その瞬間瞬間に反応する反応速度を鈍くしてしまうらしい。
無心の状態に入らないと、快心の一撃は絶対に出ない。
勝つことが求められる場で、一旦勝ちへのこだわりを捨てる。
無心といっても精神が止まっているのではない。
以前にも書いた通り稽古中は相手に向かう剣士の神経はとてつもなく張り詰めている。
物凄い勢いでお互いが相手の心を探り合っている訳です。
普段休みの日に鼻をホジリながらボーっとTVを見ているのとはわけが違います。
剣士の意識はすべての瞬間において研ぎ澄まされている。
意識は一瞬に集中してこそいるが、結果を計算しているのではない。
この無心の状態が快心の一撃を生むのです。
世間にはいろんな人がたくさんいて、何かとイラついたりムカついたりしてますけども、まだまだ修行が足りないなと思う。
相手のしたことが間違いだってわかってしまって、相手を批判することもあります。
でも、批判したらその後は、自分を省みなきゃいけませんよね。
逆に誰かに批判されることもあるだろう。
間違いを指摘されることもあるだろう。
そんな時は相手の邪念を責めるのではなく、こちらの間違いに気づかせてくれた相手に感謝する。
損得とか、打算とか、そういうのなく生きていければいいですよね。
何も考えないアホになるって意味じゃなくてね。
結果、剣道で言えば、斬るか斬られるか。命を賭けた闘い。
剣士は勝負から解放されることはない。
試合に出るからには結果がでる。
結果を気にしないというのは負けても良いという事ではない。
斬られたら死ぬのだ。
勝負の世界から退くことでもない。勝たなければいけない。
勝負から逃げてはいけないのだ。
打つこと、打たれることから逃げてしまっては何にもならない。
しかし、むしろ勝負の中で徹底するがゆえに、結果を計算することを削ぎ落とし、無心の状態で一瞬に集中するのです。
無心は最強。
まがった心や裏心は弱い。
いらない物を足してしまうと弱くなる。
本物には何もいらない。何も足さない。それが最強。
けがれがなく純真なことを無垢と言う…

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